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塾長コラム「生きる力」

旧ホームページから、お気に入りのコラムをいくつか。今でも斗満学院には「初心」が生きていると信じたい。10年以上前のコラムです。

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塾長コラム「生きる力」

 僕は受験屋ですから、生徒さんに対してはご家庭のご希望に沿ったかたちで受験指導していくように心がけていますが、そんな中で、これはちょっとどうかなっていうご要望もたまにはあります。「最低でもこの高校には入れて欲しい、それ以下の高校では 行く価値がない」と主張する気持ちはわからないでもないのですが、実際その高校に通う生徒さんにはとても聞かせることがで きないような思いやりのない発言をするご父兄の方も稀にいてカチンとくることもあります(ご存知の方もいると思うのですが 、僕はご父兄の方に対しても結構ズケズケ言うほうなので、半ば口論になることもあります。反省するつもりはありません)。

 でもガチガチの「偏差値至上主義」で「この高校へ入れば人生バラ色」「この高校ではお先真っ暗」なんて本気で考えている人はさすがに余りいませんよねえ。学歴は良いにこしたことはないけれども、学歴がないからってその人の人生がどうのこうのってことはないくらい大人になれば わかるじゃないですか。勉強の出来不出来なんてその子の人格には何の関係もありませんし、人間だれでも持っている得意不得意のうち、たまたま勉強が不得意だってだけですよね。  しかし、せっかく受験をするんでしたら精一杯がんばったほうが良いと思う。これは「どこそこの高校に入らないと人生終わり」だからとか、「今後の人生の選択肢を増やすため」とかいった理由ではないんです。

 最近は少子化の影響で大学受験もずいぶん楽になり、そんなに高いレ ベルを目指さないのでしたら推薦入試で楽に大学生になることができるようになりました。もしこの先大学受験を経験しないのでしたら、筆記試験という形式で受験を経験するのはひょっとしてこの高校受験が最初で最後かもしれない。そんな貴重な経験として「受験」を考えたとき、なんとなく力を余らせて受験をやりすごしてしまったり、筆記試験が怖いという理由で推薦入試に逃げてしまったりでは、あまりにもったいないと思うんですよ。「受験」というものは受けるほうからすれば怖いものなのですが、その恐怖に打ち勝ってこそ成長がある。逆に受験を怖く感じないようではまだまだ本気度が足りないということでしょうか。 「本気」になって「精一杯」がんばるってことが、受験に打ち勝つためにも受験を楽しむためにも必要です。

 しかし、この「精一杯」の個人差の激しいこと。数学の能力や英語のセンス、暗記力といった基本的な能力以上に「精一杯努力する才能」というものが個人個人に備わっていて、そこには厳然とした格差があるように思えてなりません。精一杯がんばれない子が確かにいる。本人はがんばりたいと思っているんですけれ どどうしても妥協してしまう。そんな自分を自分で軽蔑するようになると、親御さんの望まない方向に一気に行ってしまうこともあります。

 自分なりの精一杯で充分だと僕は思うんですけれど、周囲から見ると歯がゆく見えて仕方がないかもしれない。特にお子さんに過大な期待を抱いている親御さんからすると「なんでもっと真剣にならないんだ」「何で自分の将来のことを真剣に考えないんだ」という叱咤になる。無理ですって、中学のうちから自分の将 来を考えるなんて。中学生が自分から率先して勉強するのは「今度のテストでいい点取りたい」「○○さんががんばっているから一緒にがんばりたい」それから これが大事なんですけれど、「親や先生にほめられたい」という身近でわかりやすいインセンティブがあるときだけです。一説では偏差値50の大学と偏差値 70の大学では生涯年収が2億円違うそうですが、そういうバカバカしい話を鵜呑みにして「よし、偏差値が1上がったから1千万円儲けた!」なんて勘定をしている中学生がいたらホントに嫌なガキですよね。僕ならその場で教科書取り上げて校庭10周くらい走らせたくなります。

 お金があれば幸せになれるわけではない。お金は最小限あれば暮らしていけますし、お金はいくらあっても足りなくなるじゃないですか。偏差値の高い大学を出たからエリートになれるわけではない。そもそも「エリートになる」なんてことが人生を豊かにするための動機付けになるのかどうかすら疑わしい。エリートになりたいと思ったことがまったくないわけではないですけれど、そういう人生でなければ駄目だと考えたことは、僕はないなあ。

 結婚して子供を生んでここまで子供を育ててきたお母さんだったら当たり前に知っていること。そんなご家庭を支えてきたお父さんだったら誰に言われるまでもなくわかっていること。人生を有意義に過ごすために必要なのは誠意とユーモアなんだということを大人はみな知っているのだから、それをそのまま子供に教えてあげれば良いと思う。「どこそこの高校に合格しろ」ではなくて、「お母さんは君のことが大好きだから精一杯がんばる姿を見せて」と正直に伝えれば良いと思うんですけれど、ここで変な脚色をつけて「将来のため」だとか「人生の選択肢をどうのこうの」と言い出すからややこしいことになってしまうんです。

 精一杯やっていれば受験が楽しくなってきますし、同時に受験が怖くなってくる。受験1ヶ月前でもう受験校を決めなければならない段になって、右往左往している生徒さんと親御さんというのは、言い方変なんですけれど「なかなかいい」ものです。「親子の交流の危機」だとか何とかって聞くことがありますけれど、受験をめぐっての親子喧嘩がサマになっているのを見るとかえって穏やかな気持ちになります。うん、うん、あれはいいもんだ。

 そして受験校が決まると子供さんも親御さんも少し気持ちが落ち着くようです。あとは受けるだけですから、合格するかどうかなんて心配はどこかよそにおいておいて、最後の1秒まで少しでも合格に近づくための算段をすることが大切ですし、それしか出来ないですよね。合格すれば志望校に通える、力及ばずに不合格になった場合は滑り止めの私立高校に通うことになる。何も恥ずかしいことなんかない。最後までがんばってベストを尽くせた子に不合格の敗因なんてものは ありませんから。3月になれば、どちらの高校に通うことになるのかはどこかの神様が決めてくださいますし、堂々としていればいいんですね(でも不合格にな るのはつらいものです)。

 都立高校の合格発表日。僕が一年で一番嫌いな日。受験した誰もが成長できる日。

 せっかく受験をするんですから、簡単に高校生になるのではなくてきちんとしたプロセスを踏んで苦労して高校生になることを僕はお勧めします。最後までがんばれた子が得た何か。それは合格の喜びかもしれないし不合格の屈辱かもしれない。不合格になって泣くくらいなら始めからもっとがんばればいいじゃないかという人もいますが、こんなふうにして「生きる力」は育まれていくということを、必ず一度は挫折して大人になってきた僕らはみな知っていますよね。後悔、 頑張りきれなかった自分、その情けなさ。どんな体験も無駄にはならないですよ。

 奇跡の合格も理不尽な不合格も、社会に出ればいくらでも経験することになりますし、無理やり自分を納得させるしかなくなるときが来る。その前に「落ちても受かっても納得―っ」って言えるくらいがんばれる瞬間を人は一度くらい持つべきだと、僕は思います。

 受験である以上、合格は「ただ一つの目的」ですが、得られるものは合格だけではない。かつて不合格になった生徒が合格した生徒以上にたくましくなって会いに来てくれると、教育というものが「算術」ではなくて「仁術」であることを僕は思い知らされます。

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