塾長ブログ

努力論考

斗満学院は、ちょっと厳しめの塾です。
宿題は出るし、暗記チェックもある。
量が多いなぁと感じる子もいます。

でも、都立高校を目指す以上、学校の定期テストでしっかり結果を出すのは大前提。
推薦で私立を目指す子も、結局は内申が取れていなければ話にならない。
だから、僕としては「大変だけど当然」という感覚です。
むしろ実技4科の対策までやりたいくらい。
 
 
ここ数年、「私立高校の実質無償化」が進んで、高校受験の様相は変わってきました。
以前は「とにかく都立」と言っていたご家庭も、今は「都立でも私立でも」と柔軟に。
ただ、中堅以下の層で「ラクに入れるからここでいいや」という学校選びが増えているのを見ると、やっぱりどこかで「それでいいのか?」と思ってしまいます。

受験って、高校に入るためだけの手段ではなくて、思うようにいかない中で踏ん張る訓練であり、ある種の“心の筋トレ”でもあるはずなんです。

便利であること自体は悪くない。
でも、“努力を省略できる環境”に慣れすぎると、「努力の意味」そのものが薄れてしまう。
それが僕には、少しもったいなく感じるのです。
 
 
僕が高校生だった頃。
原宿に服を買いに行ったり、通話料を気にしての待ち合わせをしたり、手間も時間もかかったけど、それが楽しかったし、手に入れたときの喜びにはちゃんと“重み”がありました。

今は満足のコストが低すぎて、「苦労して手に入れる価値」すら実感しにくい。
でも、これからの時代こそ「努力できる人」が本当に強いと思うんです。

しかも今、日本の学生が戦ってる相手って、クラスの誰かとかじゃなくて、むしろ海外の、例えばベトナムとか中国とか、ああいう勢いある国の同世代なんですよ。
そういうグローバルな競争の中で、自分を支えてくれるのは、目に見えるスペックや肩書きではなく、「地道に続ける力」だと思うんです。

僕は「ゴリゴリの上昇志向!」というのは苦手ですが、ちょっとキツいことをサラッと続けている人を見ると、素直にかっこいいと思います。
 
 
たぶん、努力って信仰に近い。

「報われるかどうか」ではなくて、「頑張ってる自分」と「そうじゃない自分」、どちらが好きか。
──ただそれだけなのかもしれません。

高校受験の時期くらい、いっぱい間違って、いっぱい悩んでいい。泣いてもいい。
でも投げやりじゃなくて、ちゃんと夢中で取り組んでほしい。

その経験は、大人になってから必ず役に立つから。

努力って、かっこ悪いかもしれない。
地味だし、報われないこともある。
でも、それができた人だけが、いずれ本当の意味で「かっこいい人」になれる。
僕はそう信じています。

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