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富士見ヶ丘教室

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富士見ヶ丘教室の歴史① (富士見ヶ丘教室)

塾長の馬渕が、塾長ブログを更新して
富士見ヶ丘教室の紹介をしております。

http://www.toman.jp/principal-blog/entry/2018/

私自身は富士見ヶ丘教室でず~っと教鞭をとっているので
比較対照するものがないのですが・・・
そんなに厳しいか~とは思っております。苦笑

馬渕の文を読みながら
富士見ヶ丘教室の歴史でも書こうかと思いました。

まる21年にもわたりますので
ちょっと長くなるかもしれません。
何回かに分けて
お話ししたいと思います。

まずは
塾長である馬渕との出会いですね。

斗満学院は、もとは高井戸にありました。
(そちらの卒業生のお子さんが現在通っております)
馬渕が、前の塾長から譲り受け
富士見ヶ丘に新たに教室を作って
スタートしました。

平成9年夏。(今から22年前)
大手証券会社をやめた私は
教師の道を再度模索すべく
まずは塾講師をと思い

求人誌 FromA(フロム・エー)で塾講師募集の広告を見て
この斗満学院の採用試験に応募しました。

面談当日

馬渕はクーラーの配管工事か何かで
汗をかきかき仕事をしておりました。
その中での面談。
(22年前のクーラーはまだ元気に動いています・電気代はめちゃ食いますが)

本当か嘘か分かりませんが、
馬渕が言うには
倍率49倍の難関を突破して
採用してもらいました。(私ともう一人岡崎さんという当時大学生の女の子も)

思い出に残っているのは
業務2日目。(夏期講習2日目)
いきなりやらかしました。汗

服装で。今思うとすごい失礼な恰好で。

恥ずかしくてここでは言えませんが
あまりにも講師としてふさわしくない格好でした。

1年目、私は2年生の数学を担当しました。
まあ、今思うとひどい授業
クオリティは低すぎる。よく商品として
馬渕も人前に出したよな~って思うくらいです。

塾講師として
右も左も分からない私を
我慢強く使ってくれた
馬渕には

心から感謝しています。

今の私の指導法は
すべて馬渕が富士見ヶ丘教室の頃にやっていたものです。
厳しさの中にも愛情があふれていました。

今の富士見ヶ丘教室にはあまり見られない
やんちゃな子や、ちょっと大人びた女の子なども
通っておりましたが
一人一人に馬渕は愛情込めて指導していました。

その指導を私も身につけたいと思い
馬渕の下で4年間勉強してきました。

当時の斗満学院には
「杉並・豊多摩目指すなら斗満学院」という
キャッチフレーズがありました。
努力することの大切さを子供たちに教えておりました。
(第1期生はもう30代後半なんですよね・・・)

馬渕と一緒に授業をもう15年以上しておりませんが
今でもその考えは馬渕は変わっていないでしょうし、

私もその考えを受け継いでいるつもりです。


馬渕をほめたたえるような文面になってしまいましたが

私の原点は
馬渕にあることだけは胸を張って言えます!

これからも私はこの指導法をベースにして
子供たちと接していきたいと思います。

長くなってしまいました。
2回目は、私が教室長となった5年目からのお話を。

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